日本一の干し大根やぐらについて

干し大根の歴史について

宮崎市(田野町、清武町を中心とする地域)では、昭和の初期から戦後の一時期まで千切り大根を中心とする産地として発展してきました。
昭和35年頃から鹿児島県のたくあん業者が大根栽培の適地として着目し、農家にたくあん用生大根を栽培させはじめました。(その当時、千切り大根栽培からたくあん用生大根栽培にかわっても、農家の手取りは、あまり増えなかった。)
鹿児島県のたくあん業者からの委託ではなく、直接農家がたくあん用生大根を栽培し、干し始めた。なかでも、田野町(七野・片井野・楠原・屋敷地区)の農家が率先して、干し大根を栽培し鹿児島の漬物業者に出荷する形態をとるようになりました。
鹿児島県の漬物業者の製造工場までは、農家が直接もっていく方式を採用していたが、コスト削減と、運送等の労力的な面から、田野町内にたくあん工場建設の機運が高まり、昭和41年に道本漬物が、また、昭和48年にJA宮崎中央(当時、田野町農協)のたくあん工場が完成しました。JAがたくあん工場を建設したことにより、干し大根の価格が高値で安定(70円/kg→200円/kg)するようになりました。
 

 

漬物干し(秋冬)大根の生産状況
(平成27年度実績)

■ 宮崎市内

  面積(ha) 生産量(t) やぐら数 人数(人)
宮崎市(本庁) 2.7 49 17 12
宮崎市田野町 262.7 4,800 250 125
宮崎市高岡町 11.6 174 3 3
宮崎市清武町 95.0 1,800 85 42
宮崎市合計 372.0 6,823 355 182
  • 参考:農林水産振興の概要
  • やぐら数(基):平成28年12月田野・農林水産課調べ

 

■ 宮崎県内

  面積(ha) 生産量(t)
宮崎市 372.0 6,823
新富町 15.0 270
高鍋町 11.0 242
小林市 11.0 110
延岡市北方町 0.8 11
県合計 409.8 7,456
  • 参考:野菜生産出荷実績並びに計画(宮崎県 平成28年3月)

田野町・清武町を中心とする地域が
干し大根栽培に適している理由

土壌は黒色火山灰で、黒ボクや赤ホヤが多く、肥沃な弱酸性の土壌が大根栽培に適しています。
冬季に「わにつかおろし」という乾いた北西の風が吹き、この風が大根の乾燥に適しています。(10日から2週間ほどで、干しあがる。)

土壌は黒色火山灰で、黒ボクや赤ホヤが多く、肥沃な弱酸性の土壌が大根栽培に適しています。<br /> 冬季に「わにつかおろし」という乾いた北西の風が吹き、この風が大根の乾燥に適しています。(10日から2週間ほどで、干しあがる。)

だいこんやぐらの
概要について

だいこんやぐらの概要について

大根やぐらのはじまりは昭和35年代と言われており、その当時は杉などの木材を使用していた。昭和38年頃から現在使われている竹が主流になってきた。(その理由は木材に比べ軽量で安価)元々、鹿児島県の大根やぐらを真似て建てられたと言われており、地域に合わせて改良したのが、現在の大根やぐらの形だと言われている。
鹿児島の一部地域の大根やぐらは、片側だけしか大根を掛けないが、宮崎市では、やぐらの両面に大根を掛けている。これは、宮崎(わにつかおろし)と鹿児島の気候(海からの風が中心)、風土などの違いにより、そのようになっていると思われる。
当初の大根やぐらは、当初5~6段の小さなやぐらでしたが、大根の生産量の増加を受け、高さや幅など、徐々に大きくなって現在に至る。
やぐらの大きさは幅6m、高さ6mが標準的で、長さは最大で100mを超えるものもる。
(標準は約50mで、30a程度が干せる)(25間×2m/1間、10a分約8間)
竹の組み方にも工夫があり、ただ単に三角形に組むのではなく、やぐらの外側にも竹を組み、内側の竹と外側の竹の間にブルーシートをはさみ、ワイヤーと滑車をつかって、軽トラックなどで、引っ張る方式、ブルーシートが一斉にやぐら全体を覆うように作られている。
降雨の時と気温が0度になるような時にやぐらをブルーシートで覆う。(雨が当たると菌が発生し大根が変色するため)
気温が0度を下回る時は、やぐらの中でストーブなどの暖房を焚いて干し大根が凍るのを防ぐ。【大根が凍ると、品質の低下を招く。】
高さ6m×幅6m×長さ50mのやぐらで、干し大根が約30a分の大根が干せる。